11/26-12/1 東京・上野で盛岡を伝える写真展「ワタシ、ここで、ikite、いる。」開催決定!

つなぎ歴史館

つなぎの名称の由来

なぜこの地が繋と呼ばれるようになったのか。当時の歴史を紐解いてみましょう。

源義家と繋温泉
平安末期の康平年間(西暦1058-65年)、時の武将・源義家が阿部貞任を攻める際、現在の「湯の館」南方の山麓に本陣を構えました。世にいう「前九年の役」と呼ばれる戦いです。義家はこの地に温泉が湧いているのを発見し、愛馬の傷をこの温泉で洗ったところ、みるみる傷が癒されていったそうです。そこで、義家自身も愛馬を穴の開いた石に繋いで入浴したことから、繋温泉と呼ばれるようになり、付近一帯の地名にもなったと言い伝えられています。

御所の名前の由来

南北朝時代の公卿・北畠顕成の子息、北畠顕忠(北畠少弐)がこの地に居を構え「滴石御所」と名乗ったことが、名前の由来と伝えられています。
御所と言えば代々の天皇が居住する場所という意味が一般的ですが、位の高い貴人の住居という意味もあるのです。

御所村~雫石町・盛岡市へ

明治22年。当時存在した繋村、西安庭村、南畑村、鶯宿村が合併し、御所村が誕生しました。当時の御所村は人口、面積、戸数、財政ともに雫石村を上回っていたそうです。

昭和30年。政府の市町村合併令が発せられ、御所村は雫石町に合併される計画が持ち上がりましたが、繋地区の住民が雫石町との合併に猛反対。盛岡市への合併を熱望したそうです。この結果、西安庭・南畑・鶯宿の3地区が雫石町に、繋地区は盛岡市に編入され、今日に至っております。御所湖周辺で市境が入り組んでいるのは、歴史的背景があったからなんですね!

行政上の地名から御所の名前は消えましたが、昭和56年に完成した御所ダム(御所湖)に受け継がれました。